2013年4月7日日曜日

“面倒”からの解放と電子マネー



カード型IC乗車券、全国相互利用スタート 10種類8000万枚」というニュース。

「PASMO」(東京メトロや関東私鉄系)や「Suica」(JR東日本)、「TOICA」(JR東海)、「PiTaPa」(関西私鉄系)など計10種類のカード型IC乗車券の相互利用が始まり、どれか1種類持っていれば全国4275駅の自動改札を通過できるとか。

このカード型IC乗車券、周囲に使い方を聞いてみると、
ざっくり、以下の3つに分かれた。

1)運賃はもちろん、駅ビルなどの買い物にもガンガン使ってる
2)移動時は基本、IC乗車券。買い物にはあまり使わない。
3)極力使わない。

1)は、おサイフケータイ使用率が高い印象。電車に乗るときも、エキナカのコンビ二で買い物するときも、駅ビルでの買い物もケータイを取り出し、ピッ。

2)は、会社の定期がSuicaだからという人が多かった。おサイフケータイと併用するとかえって管理が面倒だという。あと、iPhoneだとそもそも、おサイフケータイが使えない。

3)はごく少数派。自転車通勤をしていたり、そもそも普段はあまり電車に乗らない。SuicaやPASMOを持ってはいるけれど、いつも使うわけではないので「あ、忘れた」と切符を買いに走ることも多いそう。

1)~3)いずれの人も【面倒くさい】を理由に挙げていたのが印象的だった。

・切符を買うたびに小銭を探すのも面倒くさいし、かといって、大きな札で支払った結果、小銭じゃらじゃら増えていくのが面倒くさい、

・おサイフケータイに申込み、手続きをするのが面倒くさい。使い分けるのが面倒くさい。

・さほど頻繁に使うわけではないものを始終持ち歩くのが面倒くさい。

などなど。


私自身はおサイフケータイで、モバイルSuicaを使用。運賃はもちろん、最寄りコンビ二でもSuica決済ができることもあって、四六時中Suicaを使ってる。書店でもユニクロでも、ピッピッ。

タクシーに乗ってから、現金を持ってないことに気づき、青ざめたけれど、Suica決済できる車だった(ラッキー!)だとか、財布を忘れてでかけたけれど、Suicaのおかげでなんとか生還なんてことも。

よく「電子マネーだと、使ってる総額が把握しづらいので良くない」と言われるが、大正解! いくら使っているのか、さっぱりわからないまま、残高がするする減っていく。

急いでいるときに限って、残高不足で改札をくぐれないというアクシデントも頻発。「時間的ロスを回避するため」という大義名分のもと、自動チャージにしたおかげで、超便利! でも、ますます不明度アップ。“面倒くさい”の罠が発動する瞬間だ。

目の前にある“面倒くさい”を回避しようと、かえって面倒なことになっているケースは他にもありそう。人間関係なんて、最たるものかもなー。ということは、選択に迷ったときはあえて面倒な方を選んでおけば、結果として面倒なことに巻き込まれずにすむのでは! なんて夢想しつつ、たまってしまったレシートの山を片づけようと思います。ああ、面倒くさい……。

2013年3月29日金曜日

キスと期待

キスまでする男友達「キスフレ」、36%の女性が「いる」と回答」という記事。

だいぶ昔に、“友達以上、恋人未満”なんて言葉が流行ったけど、
今度は“キスフレ”。
「エッチはしないけど、キスまでする相手」だそう。

サーバーエージェントの調査によると、36%の女性が「いる」と回答。
ただし、設問は
「エッチはしないけど、キスまでする相手がいる(いたことがある)?」

「彼氏はいるけど、キスだけする男友達がいる」とか、
「二人きりで会って、キスまではするけど、その先には進まない男友達がいる」

というのと、
「大勢で飲んでたときに、その場にいた男の子とノリでチューしちゃったことがある。
ま、別にそのあとセックスもしてないし、つきあうことにもならなかったけどね (・ω<) 」
だと、だいぶ印象が変わる。

酔っ払っうと手近な相手に抱きつかずにはいられないとか、
相手構わずキスを迫る酒乱系女子もいるしなーと具体的な顔も浮かぶ。
親愛の情としてのチューを日常生活に組み込んでいる子もいる。


さらに、前述の調査ではこんな数字も紹介されている。

・「"キスフレ"のことは好き?」……64%の人がNO
・「"キスフレ"とは真剣な恋愛に発展する?」……75%の人がNO
・「彼氏とキスフレは別物?」……58%の人が別物
「"キスフレ"とのキスは浮気にならない?」……81%の人がNO

ややこしやー。

好きなのか、そうでもないのかは微妙な数字。
「彼氏とキスフレは別物?」も、別物派がやや優勢という程度だ。
でも、「真剣な恋愛には発展しなさそう……」と諦め感はくっきり。
さらに、約8割が“キスフレ”とのキスも「浮気」に認定。
ゆるいのか、固いのか……。

実際のところは、本気の恋とつなぎの恋、彼氏と彼氏のようなもの、
浮気になるやならざるや、このあたりの境界線を探るのは
話のタネとしては最高に面白い。

飲み会の場で若い子を見つけたら、つい「ねえねえ、キスフレが流行ってるって
ホント」と聞いちゃいそう(聞かれた人はゴメン!)

ついでに、「年上の人に“流行りもん”の話を振られると、
期待に応えようと、つい話を盛って伝えてしまうことがある?」
というのも聞いてみようと思います。




2013年3月27日水曜日

推薦入試と学習意欲


東大に推薦入試が導入されるという報道に東大OBがこぞって反発。
物議をかもす中、京大でも同じように推薦入試がはじまるという発表があった。

推薦枠はどちらも、全体で100人程度。

2012年の合格者数が東大で3108人、京大で2932人と考えると、
推薦で入れる人数は全体の約3%。
たいした人数でもないような気もするが、
“筆記試験なし”と考えると、数字の印象も変わる。

推薦入試の歴史をひもとくと、その先駆けとなったのは
慶應義塾大学・湘南藤沢キャンパスで、1990年にスタート。
亜細亜大学が自己PRによる入学選抜を行い、話題になったのもその頃だ。
当時“けん玉チャンピオン”の合格がやたら話題になっていたような
記憶があり、調べてみたら、まさに亜細亜大だった。

その後も広末涼子の早稲田大学合格をはじめ、
さまざまな芸能人やタレント、スポーツ選手が推薦入試で
有名私大に進学。

大学の知名度もあがって喜ばしいとする向きもあるにはあるが、
有名どころになればなるほど、レベル低下を憂うOBの声も増える。

ましてや東大・京大に筆記試験なしで入れるとなれば、
穏やかじゃない気持ちになるのもわからなくもない。

東大では「特定の学問分野に強い関心があり、入学後も積極的に学ぶ
意欲を持っていること」を出願資格として掲げているけれど
推薦入試はそもそも、学力低下の一因になっているという指摘もある。

いずれにしても、しばらくの間、飲みの席でのトピックとしても大いに
盛り上がりそうな話題だ。
賛否とその理由からは、学力や学歴に対する自負が見え隠れする。

「推薦入試なんて、勉強したくないヤツが受けるものですよねー。アハハ」
などと軽口を叩き、
「まあ、うちの娘も推薦入学だけどね」
と上司の地雷を踏むことのないよう、
細心の注意を払いつつ、ハラハラドキドキ楽しみたい。

2013年3月26日火曜日

「せっかくだから」の罠


6億円で購入のおもちゃ、活用できず無償譲渡へ」という記事。


府立大型児童館「ビッグバン」が所有する江戸期から昭和期のおもちゃ約5万6100点
金額にして約6億1800万円相当)を国立民族博物館に無償譲渡するという。
おもちゃの内容は国産のものとしては最も古い万華鏡やブリキの馬車、セルロイドの人形など。
“当時の社会状況がうかがえる素晴らしいコレクション”だという。

しかし、
1)展示が収蔵品の一部にとどまる(府監査委員が「有効な活用がされているとは言い難い」と指摘)
2)保存にも人件費や保全費など年約400万円がかかる
などの理由から無償譲渡に踏み切ったようだ。

不思議なのは、1)も2)も購入の時点である程度予測がつきそうなものだけれど……という点だ。
とくに、2)の人件費と保全費用については、6億円に比べると微々たる金額。
お金をかけたところで、収入に結びつくアテが見つけられず、根を上げたということなのだろうか。

文化的、歴史的に価値があるものを保全するということ自体は、意義も価値もあると思う。
死蔵したり、朽ちさせてしまうことを思えば、
活用してもらえる先が見つかったのも喜ばしいことだろう。

1993年に約6億円を投じてから、わずか20年間で限界を迎えることを
予見できなかったことは、うやむやにしないほうがいいのではないか、とも思う。
何がどうなって6億円のおもちゃ購入に至ったのか、詳しいことはわからなかった。
府立大型児童館「ビッグバン」のサイトを見ると、さまざまな切り口から
おもちゃを紹介するページがあり、活用しようと努力していた様子もうかがえる。

館内には、子どもたちが時代玩具と触れあうことができる実物大ジオラマなど、
おもちゃの歴史をフォーカスしたフロアもあり、歴史あるおもちゃをとりあげたい
意欲は感じられるが、巨大遊具に夢中になる年齢の子どもがそこまで興味を持つとは
思えず、かといって、大人が子どもにまじってわざわざ足を運ぶだろうかという疑問もあった。

“価値あるもの”だからといって、次の価値を生めるかどうかは確約されていない。
活用できなければ、ただの場所とり、負債になってしまうこともある。

「せっかくだから」の誘惑は、心をとろかすほどに甘美だ。

「一生もののコートだから」「次はいつ買えるかわからないから」
などと理由をつけては後先考えずにレジに向い、
結果、物をあふれさせてしまっている日常を思い、
深く深く反省する次第でありました。





2013年3月21日木曜日

裸体とアートと教育と


「ダビデ像論争、世界から大反響…ふんどし協会も」という記事。
島根県奥出雲町の公園に設置されたダビデ像とビーナス像を巡り、思わぬ論争が起きているという。

二体の彫刻は奥出雲町出身の元建築会社社長が“故郷への恩返しのため”と寄贈ししたもの。町は「本物の芸術作品を鑑賞できる。ありがたい」と公園に設置。しかし、町民から「子どもが怖がる」「威圧感がある」などと苦情が寄せられたとか。「(ダビデに)下着をはかせて」という珍意見も飛び出し、大騒ぎに。

ダビデ像もビーナス像も、美術の教科書などでおなじみ。
まったく知らない作品でもないという身近さもあってか、
一流の芸術品を理解できないなんて……!”と、
呆れたり嘆いたりする声も多数。

全裸なのはハレンチだから、パンツなり何なりで覆ってしまおう! というのも、
ずいぶん乱暴な意見ではある。でも、「一流の芸術品だから」で済ませるのも、
それはそれで乱暴な気がするのだけれど、どうだろうか。

調べてみると、ダビデ像が全裸なのには、
相応な理由があるらしいということがわかった。
とりわけ、“割礼”の跡があるかないかは重要な問題らしく、
「聖書にもとづいたものなのではないか」という意見もあれば、
古代ギリシアの美学的理想を模倣したという見解もある。
こうした論議が起こるのも、ダビデ像が股間を丸出しにしているからであって、
布などで覆われていたら、議論のしようもない。

裸つながりでいうと、こんな話もあった。

野外彫刻に多い裸婦像は、かつて「自由」「平和」「青春」など、各時代のイデオロギーの象徴としてしばしば公共の場に置かれたが、近年ではフェミニズムの観点から「なぜ女ばかりが、しかも裸で置かれるのか」との批判を浴びることもある。(Wikipediaより

駅前や公園にさりげなく佇む彼女たちから、
そんなメッセージが発信されていたとは!
さほど気にも留めず、ぼんやり通り過ぎていたことを申し訳ない気持ちになる。

違和感を覚えるものに出会ったとき、感情の赴くままに拒否したり、
無条件に受け入れるのではなく、
“それ”が生じた経緯や環境、どんな意味を秘めているのかに思いをめぐらせてみる。
そうすれば、どんなものでも「教育上ふさわしいもの」になりうるのではないかと思う。








2013年3月13日水曜日

スマートフォンと先入観

子どもにとって、進入学シーズンは格好の“ねだりどき”だ。
「来年から中学生になるんだし」「高校合格もしたことだし……」と、
親の財布もゆるみがちになるというのは、今も昔も変わらないらしい。

中高への新入学を控えた子どもがいる親のうち、
「入学時期」をきっかけに携帯電話・スマートフォンへの購入・買い替えを
検討する人は全体の51.8%を占めたそう。
さらに、スマホを選ぶ理由は、
「子どもがスマートフォンをほしがっているから」(40.9%)がもっとも多く、
「自分と一緒(同系統)の機種だから」(26.8%)、
「今後スマートフォン以外の携帯電話は時代遅れになるから」(23.5%)
と続く。

以前、スマートフォンの取材でお会いした何人かの主婦の方々は
いずれもガラケーユーザーで、「スマートフォンに興味はあるけれど、
通信料がかさむのがちょっと……」と、尻込みしていた。

今回の調査でも、「電話料、通信料などがかかりすぎないか心配」(64.2%)が
心配ごとの筆頭にあげられており、「ゲームなどでの課金があるサービスでの
高額請求」(61.9%)など、料金面での不安が「インターネットやメール、
ゲームアプリに夢中になり、勉強しない」(57.5%)、「有害情報サイトへのアクセス」
(55.5%)を上回った。

経済的な負担もさることながら、スマートフォンがもたらす
生活習慣の変化はあなどれない。

“スマートフォンを持っている高校生は、
スマホで1日に平均3時間近くもインターネットを利用し、
目の疲れや睡眠時間の減少など、体の負担を感じている
高校生もいた、という結果が出た”という。

以前、スクールカウンセラーをやっている知人に
携帯メールの返信に追われ、寝不足になり、
やがて不登校になってしまった子どもたちの話を聞いたことがある。
一刻も早く返信をしないと嫌われてしまうかもしれない。
だから、寝る間も惜しんで返信する。宿題なんてやっている場合ではない。

今なら、LINEの応酬になるのだろうか。
「即レスをしなくても、破たんしない友達関係もある」
「まずは一晩、携帯電話の電源を落としてみよう」と
説得に説得を重ねるところからのスタートなのだ、と知人は言っていた。
“即レス”の呪縛を解くのは、そう簡単にはいかないとも。

親がすべての危険を先回りして取り除くことはできない。
でも、一緒に考えることはできるはずだ。

例えば、“インターネットが使いやすいから”
“スマートフォンを持っていないと話題についていけなくなりそうだから”
“勉強に役立ちそうだから”
“持っている人が多くて安心だから”
といった、漠然としたイメージの真偽を調べてみる。

それは、日常生活の中に潜む“だって欲しいんだもん”を
飼いならすのにも役立ちそうだ。





2013年3月10日日曜日

泣きたい理由と武士の情け



気分が落ち込んだときは、いっそのこと思い切り泣けるだけ泣いたほうが立ち直りも早くなるという話は、以前からちょこちょこ耳にしていた。

週末になると、“泣ける映画”を大量に借りてきて、一人で見るという友人もいたし、泣くとスッキリという感覚は自分自身でも体験している。

でも、どちらかといえば、個人活動の範囲にとどまるものだった。それがメンタルコントロールのひとつとして注目され、“週末号泣”を実践するためのイベントも実施されているという。

心に効く! 働き女子を救う「涙活」って?


見知らぬ同士が集まり、泣ける映画を見たり、感動話を聞いて涙を流すという涙活イベントの体験レポートもあった。


“家で泣いたら家族を不安にしてしまう。泣きたいのに、泣ける場所がどこにもないんです”(40歳・男性)

“女も30代になると、そうそう泣ける場所があるわけじゃないです”(34歳・女性)

男も女もなかなか大変だ。

「年を取ったら、やたら涙腺がゆるむようになっちゃって」なんて話をよく聞く。自分でも実感する。

映画やドラマの感動エピソードはもちろんのこと、しょうもない余興も「長くつきあってくれる友達がいるってことはありがたいことだ」ともらい泣きできるし、「幸せそうで何より」とまた泣ける。

一方、泣けない場面も増えている気がする。仕事とプライベートの境目が年々曖昧になっているせいだろうか。泣いて叫んで、かんしゃく起こして、ぜーんぶ放り出したら、さぞラクになるだろうに……と思うような出来事に出くわしても、まず泣けない。泣いている場合ではなかったりもする。

そんなとき、どうするか。
ぐしゃぐしゃ悩んでいる自分に対して「で、それ食えんの?」と突き放す質問を投げかけることで、冷静になれることがある。

最近読んだ『もう、名刺交換はするな。』(佐藤綾子著・フォレスト出版)には「武士の情けで許す」という案が紹介されていた。

“神様のように「慈愛によって赦すこと」は、平凡な私などにはなかなか難しい。でも、心の中で「いいや! もうここでわり切って許す。武士の情けだ!!」くらいのタンカを切って、あとは忘れてしまうのならば、私にもできそうです”

今度やってみよう。

「号泣してスッキリ」に限らず、ストレスに直面したときの対処法を複数持っておき、気分やシチュエーションに応じて適宜試してみる。それができると、ストレスもだいぶ軽減できそうだ。