2013年2月15日金曜日

名門マジックと酒肴トーク

名門麻布中学の入試にドラえもんが出題されたのはなぜ?」という記事。


麻布中学の入試の理科の問題で下記のような問題が出されたそうだ。

「(略)『ドラえもん』がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。」

で、麻布中学校 2013年入試問題 解答速報によると、模範解答はこうだ。

「ドラエもん自身が成長したり、子孫を残すことができないから」

うわー、えぐい回答だなーというのが第一印象。

なんせ、私は現時点で子どもを産んでないし、
今後、子どもを産むかどうかわからないし、わからないとか言ってる間に、
産めない年齢になる可能性もある。ということはいずれ「子孫を残すことができない」に
該当して、非・生物認定っすか……。がーん。

だいたい、成長してるのかどうかも怪しい。自分では成長したなーと思うことはあるけれど、
それは単なる自己満足に過ぎないんじゃないのか。ホントに成長してるのか、
何をもって成長とするのか。少なくとも、身長は増えていない(体重は増えたり減ったり
している。これ以上増えてもらうのは大変に困るので、むしろ成長してほしくない)。

設問自体は面白い。でも、模範回答は正直言って微妙だ。
なんだろうなー、「思考力がある」というより、
デリカシーのない答えに思えてしまったのだ。

なんとなく釈然としないまま、そもそもの設問を見てみると、さらに拍子抜けする。
問題文の中に、“生物の特徴”が明言されていた。

(略)さまざまな生物を観察し、生物でないものと比べてみたところ、すべての生物に
共通する特徴がいくつか見つかりました。その特徴のなかでも、とくに重要なものが
下の特徴A~Cです。

特徴A:自分と外界とを区別する境目をもつ。
特徴B:自身が成長したり、子をつくったりする。
特徴C:エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている。

なんだー、答え書いてあるんじゃん。
デリカシーがないどころか、むしろ素直! 

ユニークとされる教育方針の学校である時期を過ごしたことがある人は、
それに対する愛着が強い傾向がある。
私が通っていた高校も、いちおう県内有数の進学校なのに、
受験対策にちっとも興味のない先生ばかりがいて、
夏休みや冬休みの宿題も「百人一首をぜんぶ覚えること」や
「オーヘンリーの短編集を英語で通読する」だったりした。
入学したての新入生ならいざ知らず、高校3年生の夏休みの宿題が、
「徒然草を読むこと」とかウケる! と思っていたし、同級生と会えば、
未だにその話で盛り上がったりもする。
ただ、記憶は美化されるし、何かしらのバイアスもかかる。

ドラえもんが入試問題に出てくるというと、それだけでキャッチーだし、
最初に引用されていた問題だけ見ると、ちょっと考えさせられる設問にも見える。
しかも、それを出題したのはユニークな教育方針で知られる、名門麻布中学で……といった
複数のイメージが重なった結果、実態からズレたところで好感を抱いたり、
ガッカリしたりする。

こうしたことは日常生活のなかでも、ちょいちょい起こる。
感情的に切り捨てるのは簡単だけれど、その感情をひょいとわきによけておいて、
さかのぼって調べてみると、想像と違う“正体”にあえるかもしれない。
なんて思えるのは「成長する」のカテゴリーに入れていいのか。

前提となる“定義”はさておき、ドラえもん問題は恰好の酒の肴になりそうだ。
模範解答からかけ離れた回答、例えば、
「いや、やっぱり国民的キャラクターであるわけだし、この際、
ドラえもんを生物として認めてみよう」とかなんとか言われたら、
おお、と思ってしまいそうだ。

自分ならどんな答えを出すのか、もさることながら、
どんな答えを出す人と仲良くなりたいか考えてみるのも楽しい。








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